税理士は何のために存在するのか

課税対象が存在するかどうか―

課税の世界は、事後的かつ客観的な事実の存否によって確定されることとなっている。

納税者の主観も、情けも関係ない。手続きが難しいとか、簡単だとか、そんなことも原則としては関係ない。

ただ、重要性の原則を含めた会計慣行が課税原則の中に取り入れられており、会計慣行だけが唯一、税の非情さを緩衝できるツールとなっている。

法の執行というのは、常に非情で過酷なものだ。

法の執行をする公務員には、法律を遵守する義務が課せられており、宣誓のもとに職務についている。国家の体制が資本主義であろうと、共産主義であろうと、社会主義であろうと、法の執行を統制するために、個々の公務員がいちいち具体的な執行の場面で悩むことを許さない。

しかし、国家権力を身にまとった税務調査官が、一般の納税者と対峙するとき、その力の差は圧倒的なものである。税務調査官が優しそうな人であろうと、たおやかな女性であろうと、フレッシュな男性であろうと、発見した何かを追及しようとする場面にあっては、納税者はゾウや虎と戦うような劣勢を感じざるを得ない。

何を反論しようと、いかに情で訴えようと、泣こうが叫ぼうが、彼ら税務調査官は、自分が思ったことを思いとどまる権限がないのである。脱力感と無力感の中で、納税者は泣く泣く妥協することになるかもしれない。

税理士ももちろん万能ではない。

昔、駆け出しのころ、局の調査立ち合いで会社の二階にある納税者の住居への侵入を止められなかったことがある。同じ場所に6人も同時に来られると、私一人では間に合わない。不安げな納税者の傍にいてあげたいし、裏にある倉庫の在庫調査にも立ち会いたいし、次々に繰り出される質問にも答えなければならない。ハッと気づいたときには勝手に人の住居に侵入してベッドをさわったりタンスをさわったり、納税者の奥様はさめざめと泣いていた。脱税などしているはずもなかった。大山鳴動して鼠一匹。しかし、私はこの調査の直後に、税理士契約を解除された。腹に据えかねるものがあったのだろう。

納税者は、サディスティックにエスカレートする暴力を止められない。止めると「何かまずいことでもあるのか」と凄まれる。行政権の行使は、比例的行使が必要であり、また会社の調査に住居に侵入するのも異なるプライバシーを侵害するものとして違法である。しかし、調査官は、逆に「承諾」をとっているので問題ないという。本当は、「承諾」が会社の調査との関連性で問題であるし、「承諾」があったとしても、夫婦の寝室に我が物顔で入り込んで、下着が入っているタンスなどを自らの手で触るようなことが許されるはずもない。

現状では、税務調査はもう少し手続きが重視されるようになってきている。今、こんな調査官がいたら、スマホで動画を撮ってツイッターに投稿してみよう。刑事訴訟法が先行して違法収集証拠排除法則を確立している。証拠排除は税務の世界でも論点になると思うが、まだこれからなので、議論を深めていかなければならないはずだ。

手続の分野をもっと洗練しなければならない。法律は的確に執行しなければならないが、そのためにプライバシーを侵害したり、納税者の納税意欲を削ぐような行動をしてはならない。医師の手術に例えるならば、いかに血を流さないで患部の癌を切り取るか。

国税庁は、税理士をもっと大切にするべきだ。税務署の職員だけで、この複雑化した税法を徹底することができるはずがない。ほかのブログで述べているようなグローバル化の対応も、国家権力では立ち入ることができない部分である。日常的になった生命保険、ビットコインやFXなどの新しい金融分野の社会的な草の根教育も我々が一役になっていることを感じてほしい。データのクラウド化に対応しているのは、税理士だ。電子国家に賛同し、納税者を啓蒙しているのも税理士だ。

税理士が要らないという意見もあるだろう。人に憎まれやすい職業である。でも、私たちは、単に税務の専門家であるだけに甘んじてはいない。会社のつつがない発展のために、日々アドバイザーとして会社の役に立っている自負がある。経営戦略、戦術、新事業のシミュレーション、設備投資の実現性、キャッシュフローのアドバイス、金融機関との折衝、人事組織のアドバイス、私たちは、顧客たちからの信頼に応えるべく、日々勉強を重ね、一生懸命に努力しているのだ。

最後は愚痴っぽくなってしまった。

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